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【YouTube】グローブ globe DEPARTURES

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グローブ globe DEPARTURES

 

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globe(グローブ)は、1995年8月にデビューした日本音楽ユニット。所属レコード会社はエイベックス。所属レーベルはプライベート・レーベルのavex globe

デビューアルバム「globe」は400万枚を売り上げた。ダブルミリオンを記録した「DEPARTURES」をはじめ「Can't Stop Fallin' in Love」「FACE」など多数のメガヒットシングルがある。安室奈美恵華原朋美TRFらとともに小室ファミリーの一時代を築き上げた。

来歴[編集]

Feel Like dance - Love again (1995-1998)[編集]

1994年6月、エイベックス・グループ主催のイベント「avex rave '94」にて2 アンリミテッドが出演した際、既に付き合いのあったマーク・パンサー小室哲哉が「よく見て、勉強しておいて」と忠告した。同年8月、小室が主宰するイベント「EUROGROOVE NIGHT」内で開催されたオーディションに山田桂子が出場し、舞台から滑り落ちるというアクシデントに遭いつつも、動揺せずに最後まで歌い終えたことがきっかけとなり結成の動きが始まった[3]。「EUROGROOVE NIGHT」にはハーフのMCとしてANISSとマークが参加しており、まずはマークと山田によりユニット「Orange」が作られ、小室がそれに参加し山田はKEIKOに改名、ユニット名は英語で「地球」を意味するglobeとなった。もう1つの由来は、「global」という形容詞の名詞形の様に世界展開も視野に入れて、カタカナ発音でも外国人に通じる共通言語として命名した[4]

当初のコンセプトは「日本版2 アンリミテッド」を構想し、trfが一段落したらプロデューサーとして一歩退いた形で取り組むつもりだった。しかし、「音色作りはもちろん小室主導・音源が完成した後もPVとライブの時に小室の代わりを見つけないといけない」という壁に当たった。「キーボーディストのオーディションをする面倒を考えたら、自分が入ったほうが良い。それに『trfと戦う』というスケール感の大きいプロジェクトには、自分自身がミュージシャンとして関わりたい」という小室の意向で[5]ダンス・ミュージックDREAMS COME TRUE」「ターゲットは25歳前後」というコンセプトに変更した[6]ZARDのようにメディアに顔を出さないシークレット・アーティストのような形態を採っており、デビュー・シングルの「Feel Like dance」のPVは当初CG映像のみで、3rdシングルの「SWEET PAIN」に至っては制作すらしないという、小室ファミリーとしては異例の徹底振りであった。この方針は、歌は大丈夫だが写真慣れしていないKEIKOへの配慮・写真は大丈夫だがラッパーとして通用するかどうか疑問符のあったマークの本質と将来性を探り、3人がそれぞれ自分のポジションを自覚することでより良いパフォーマンスができる様にし、音楽自体のクオリティを高めるためであった[4]

1995年8月9日1stシングル「Feel Like dance」(オリコン初登場3位)でデビュー、いきなり95万枚の大ヒットに。続く2枚目の「Joy to the love (globe)」で早くもオリコン初登場1位を記録し、3枚目の「SWEET PAIN」(オリコン初登場2位)も90万枚を突破し、デビュー間もなくしてミリオンセラー寸前となるヒット作を連発。知名度が爆発的に上昇するに至って、globeはテレビや音楽番組への出演を解禁。同時に、「Feel Like dance」のPVをglobeの歌唱映像に変更するなど、次第に露出度を増やしていくことになった。

1996年JR東日本のCMソングに起用された1月1日発売の4thシングル「DEPARTURES」は売上230万枚の大ヒットとなる。同曲はオリコン年間シングルチャート2位、プラネットCDTVの年間シングルチャート1位を記録した。さらにデビューから僅か7ヶ月にして3月31日発売の1stアルバム『globe』は売上400万枚以上のヒットとなった(翌年4月、出荷枚数455万枚の当時の日本記録を達成)。このアルバムは、同年の第38回日本レコード大賞アルバム賞に選ばれた。その後、GLAYB'zベスト・アルバムがこの記録を後を追うように更新するが、当時のavex依田会長は「オリジナルで超えてみろ」と発言したとされる。8月28日発売シングル「Is this love」のPVはアメリカ・アリゾナ州で撮影され、当時としては総額1億円という破格の撮影費が投じられた。 9月『Private Tour house of globe』。ロードムービー撮影という名目のglobe初のツアーを敢行。「Is this love」のCD購入者から抽選で招待してコンサートが行われた。10月には「DEPARTURES」に続くJR東海のCMソングとして「Can't Stop Fallin' in Love」をリリースし130万枚のミリオンセラーを記録。同曲で年末のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。

1997年1月発売の「FACE」も130万枚を突破する自身3枚目のミリオンセラーとなり、3月12日には2ndアルバム『FACES PLACES』を発売。その後、前代未聞の大阪福岡名古屋東京4大ドームツアー「globe@4_domes」を敢行。5月には、初の日本国外でのツアー「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」開催。安室奈美恵TRFとともに台湾台北を訪れ、テレビ出演やライブを行った。

同年7月、小室とエイベックス(松浦勝人千葉龍平ら)との関係に大きな亀裂が生じ、globeは活動停滞を余儀なくされる。10月にはTBS系ドラマ「青い鳥」の主題歌として決まっていた「Wanderin' Destiny」をリリースするがメディア出演は一切なく、紅白歌合戦にも不参加となった。11-12月にはTK GROOVE MUSEUM Kissing Asiaツアーに小室とマークが参加するも、globeの曲は華原朋美が務めた(KEIKOは千葉龍平の所属事務所に在籍していたため)。

1998年3月31日発売の3rdアルバム『Love again』が発売初日に200万枚を出荷し、デビューアルバムから『Love again』までのアルバム総出荷枚数が2年で1000万枚を超える。これはデビューアルバムからの最速となる出荷枚数1000万枚超えの記録を大幅に更新することになった。7〜8月には、4都市7公演の全国ツアー「globe tour 1998 “Love again”」を敢行した。

globe 4 SINGLES - CRUISE RECORD (1998-2000)[編集]

同年秋、「BRAND NEW globe 4 SINGLES」と題し、9月2日に「wanna Be A Dreammaker」、9月23日に「Sa Yo Na Ra」、9月30日に「sweet heart」、10月7日に「Perfume of love」と4連続シングルリリースを行い、話題となる。10月26日付のオリコン週間シングルチャートにて4曲が同時に上位10位以内にチャートインした。これはオリコンシングルチャート史上初の記録であり、「発売日が異なる再発でない同一アーティストによるシングルの複数チャートイン」として現在も記録が保持されている。それらの活動が認められ、「wanna Be A Dreammaker」で第40回日本レコード大賞を受賞した。また、この4枚のシングルを購入し、それぞれに封入されている応募券を送ると非売品シングルCD「winter comes around again」が応募者全員にプレゼントされるという企画を実施(当時はライブなどで一切この楽曲が演奏されることはないとしていたが、2002年11月発売のベスト・アルバム8 Years 〜Many Classic Moments〜』にTK mixとして収録)。

1999年2月、初のリミックスアルバムの公開レコーディングが行われた(当日はタイトル未定であり、後に『FIRST REPRODUCTS』として発売)。このレコーディングに参加できたのは、アルバム『Relation』を購入し、応募してきた10万通の中から選ばれた200組400人、抽選倍率は約500倍であった。9月22日、アルバム『CRUISE RECORD 1995-2000』の発売日に大阪 Virgin Megastore 心斎橋店にて発売記念インストアイベントが行われた。この日はイベントだけではなく、「1day globe ジャック!!」と銘打ち店内全てをglobeのCDで埋め尽くすという、大胆な企画も決行された。

2000年1月、globe初のライブハウスコンサート敢行。今回のライブに参加できたのは、「Coca Cola TOUCH THE globe LIVE 2000! キャンペーン」の応募総数115万枚から選ばれた2,700人でチケットの入手倍率は約100倍であった。

トランス期、ソロプロジェクト、コラボ、小室とKEIKOの結婚 (2000-2002)[編集]

2000年3月以降、メンバーそれぞれのソロプロジェクトが始まる。3月29日にそれぞれがglobe featuring KEIKO、globe featuring MARC、globe featuring TKとしてシングルを同時リリース。KEIKOは同年ソロコンサートツアーを2度行った。

2000年から2002年にかけて、トランスという切り口から新たなglobeサウンドを展開。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受け、被害地の一刻も早い復興の願いをこめ、『songnation(一部、song+nationと表記)』というプロジェクトを小室哲哉および松浦勝人を中心として発足し、チャリティーCDを発売。その第一弾にKEIKOが、ayumi hamasaki & keiko 名義で「a song is born」を発売した。songnationとして、翌年1月にアルバム『songnation』を、3月にそのリミックス盤『songnation 2 trance』を発売。リミックスアルバムにはglobeとして参加した。

2002年春からは全国ツアー"category trance" "category all genre"を開催。追加公演を含め、3種類もの演出でアーティスト性の高いステージを披露した。

同年7月、ベルギーDJであるPUSHとのコラボレーションシングル「dreams from above」を発売。

9月、X JAPANYOSHIKIが加入し、globe extremeとしての活動が始まる。その日お台場にて開催されたavexの一大ライブイベント"a-nation"のステージ上で突如発表されたこのセンセーショナルなニュースは、アジアを始めとした世界中に配信された。11月27日、シングル「seize the light」発売。しかし以降、YOSHIKIが関わったオリジナル楽曲は発表されていない。

11月22日、小室とKEIKOが結婚。

globe decade(デビュー10周年)、活動休止状態 (2003-2008)[編集]

2003年6月、トランスとJ-POPの融合をにらんで発足されたプロジェクト『Cyber X』にKEIKOがCyber X feat. KEIKOとして「be true」を発売。7月9日に開催予定だった東京ドーム公演は、アジアを拠点として活動することを目標としていたこともあり、新型インフルエンザイラク戦争など国際情勢悪化の影響で中止された。12月、KEIKOのソロシングル『KCO』が発売。

2004年8月のデビュー10年目を迎えた際に、翌年8月9日の10周年までの1年間を「globe decade」と題してさまざまな活動を行うと小室が公式ウェブサイトで発表。globe decadeの活動として、同年10月より2005年1月までglobe decade tourを敢行。また12月には未発表曲であった「Judgement」をツアーにて初披露した。翌年3月、exciteの有料音楽配信にてglobeとして初の配信となる「Judgement (studio live version)」をCD音源化前に発表。

2005年a-nation'05にサプライズ・アーティストとして参加。「ポップアジア2005」に日本代表として参加し、5曲を熱唱した。

2006年8月9日、globe初のミニ・アルバムnew deal』を発売した後、事実上活動休止状態となる。

2007年12月25日にファンクラブ「house of globe」によるイベントが行われ、1年4か月ぶりにメンバー3名が揃い、ファンの前で数曲を披露した。このイベントにおいて、今後のglobeとしての活動展望が明かされたが、翌年1月にhouse of globeが一部サービスの滞りを理由に運営休止を発表。

KEIKOソロ活動、復帰 (2008-2009)[編集]

2008年3月12日に、ユニバーサルミュージックに移籍したKEIKOが「KCO」名義で「春の雪」を発売し、4月30日にソロとしてはファーストアルバムとなる『O-CRAZY LUV』を発売した。

6月16日、小室のブログ記事において、globeが活動再開を宣言。8月31日、a-nationにシークレットアーティストとして出演し、停滞していた活動を約2年ぶりに再開させた形となった。

11月4日、小室が5億円詐欺事件により逮捕。これを受け、エイベックスは2008年11月~2009年1月までに発売が予定されていたシングル3枚(1枚は未定)[7][8] の発売中止ならびに、globeの楽曲の配信停止を発表。これによりglobeは活動不能の状態となった。

2009年8月22日、a-nationにシークレットアーティストとして登場し、音楽活動に復帰した。その中で小室は観客に向かって頭を下げ、謝罪の挨拶をした[9]。その模様は期間限定でエイベックスの携帯電話向け動画サイトBee TVで配信された。また、この日よりglobeの楽曲配信を再開した[10]

15YEARS(デビュー15周年)、KEIKOの療養による活動休止 (2010 - 2014)[編集]

2010年9月29日、15周年記念盤『15YEARS』3種が発売。2008年11月に発売が中止されたシングル「Get Wild」と同シングルのカップリングであった「Spicy Girls」を収録。3種類のうち『15YEARS -BEST HIT SELECTION-』のジャケットは「Get Wild」で使用される予定だった北条司の描き下ろしイラストが採用されている。

2011年10月24日、KEIKOが自宅にいる際に首の後部に激痛を訴え倒れた。夫である小室が救急車を呼び、都内病院に緊急搬送される。診断の結果「クモ膜下出血」と判明し、25日未明から約5時間にわたる手術を受けた[11]。そのため再び活動不能の状態となったが、2012年9月に小室が自らのTwitterにて病気療養中のKEIKOが回復するまで、マークと2人で活動再開する旨を発表した。

2013年3月27日、globeの楽曲を小室とマークがEDM (Electronic Dance Music) スタイルにリミックスしたアルバム『globe EDM Sessions』が発売された。

globe 2 decade(デビュー20周年)(2015 - )[編集]

2015年3月25日、デビュー20周年を記念して女性ボーカル&男性ラッパーによるユニット「baby globe(仮)」のオーディションを開始した[注釈 1]。8月5日、これまで発表した曲から20曲を小室自身により、リプロダクトしたアルバム『Remode 1』発売。8月9日、『globe 20th anniversary special event』をシンセサイザーを小室、DJをマークで新宿ステーションスクウェアにおいてフリーイベントとして実施。イベント冒頭にKEIKOの手書きメッセージを本人が読み上げる形で肉声が流れた[注釈 2]。12月16日、HYDE浜崎あゆみなどが参加した『#globe20th -SPECIAL COVER BEST-』を発売。

2016年3月、globe MUSIC VIDEO ドラマ PROJECT を立ち上げ、「FACE」が池田エライザ主演、薮内省吾監督で映像化された[12]。また、デビュー20周年の締めくくりとして、リプロダクト・アルバム『Remode 2』(8月3日発売)、Blu-rayボックス『globe 2 decade -live blu-ray box-』(9月7日発売)をリリース[13]、「globe 20th FINAL ニコ生スペシャルナイト」(8月8日、六本木ニコファーレ)を開催[14]

2017年8月15日、小室自身の公式Instagramにて、療養中であるKEIKOの歌声を公開した[15]。動画には「2016〜2017 KEIKO」と文字が浮かんでおり、小室は「病気後に創って唄ってみたkeikoの声です。きっと今はもっと上手になってると思う」とコメントしている。なお、KEIKOが病気発症以降、歌声が公開されたのは初めてとなる。

globe extreme[編集]

globe extreme
別名 globe
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
トランス
レーベル avex globe
公式サイト globe Official Website
 
メンバー TETSUYA KOMUROシンセサイザーキーボードギター
MARC PANTHERラップ
KEIKOボーカル
YOSHIKIピアノギター

globe extremeは、globeのメンバー3人にX JAPANYOSHIKIを加えた4人で活動するときのユニット名である。YOSHIKIは2002年9月にglobeの4人目のメンバーとして加入、同年11月に唯一globeとして参加、作詞・作曲・編曲とギター演奏をした楽曲「seize the light」があるが、2005年8月に行われた『globe2 pop/rock』リリースパーティーにおいて、今後はオリジナルメンバーとしてではなくサイドメンバーとして活動し、活動の際はglobe extremeと称することを発表した[16]。しかしながら現在までglobe extremeとしての活動はない。

YOSHIKI加入のいきさつはマークによると、YOSHIKIに呼ばれ小室とKEIKOがビバリーヒルズにあるYOSHIKIの大豪邸に出向いたが、「マークが来ないからダメ」と言われ、妻の出産予定日で日本にいたマークに小室が「次の朝の飛行機で来て」と呼びだした。マークが到着した時、全員飲んでいて「つかみを取るため」プールに飛び込んだが、水が入っていなかったので頭から流血した。マークは「かっこつけて飲んでいたら、次の日YOSHIKIがglobeに入ってくれた」と当時を振り返っている[17]

※フリー百科事典ウィキペディア
Wikipedia)より転載